2012年7月15日日曜日

7/8/2012 Bill Frisell @ Napa Valley Opera House







このイベントの正式のタイトルは 
All We Are Saying: Bill Frisell Explores the Music of John Lennon featuring Tony Scherr, Greg Leisz and Kenny Wollesen 
というもの。 
なぜにイベントの正式なタイトルなんて言うかというと、ここにもBillさんの性格が現れているからだと思うからです。とてもシャイ。 

Bill FrisellというギタリストはKimock経由で知りました。この前訳したインタビューだったと思うけど、Kimockが「一度Bill Frisellと一緒に演奏してみたい」と言っていたのでYoutubeなどでチェックしてみたところ、「いやいや、こりゃすごい」ということで、見つけたこのイベント。 
John Lennonの曲を演奏するということで、いやーすごい人なんだろうという期待もあって、すごく楽しみにしてた。しかも最新アルバムのFloretone II。個人的にどんぴしゃりな感じだったので、さらに期待大。 

ショーは20分くらい遅刻したんですが、席付の会場でしかもチケット買ったのが早かったので一列目のど真ん中。 
ただそれほど意味があったかは微妙。つうのもBillさん前を向いて演奏しません。 
ずっとステージ左のベーシストの方を向いて演奏。どんなギターをどんなふうに、どんな表情で弾いているか、全く見えない。 
ものすごく興味深い音が出ているんだけど、企業秘密なのか手の内を見せてくれない。 
まぁ見せたくない、真似されたくないようなことをしているんでしょう。 
これは確かにミュージシャンとしての沽券に関わるような事なので、別段彼を責めるようなことはできませんが、やっぱオーディエンスの立場から言えば見たいよね。 

音は繊細そのもので、個人的な印象として、不器用でシャイな子が他の子ととけあってお外で遊ぶことができない時に偶然ギターを手にし、ハマった。夢中になって10年近く閉じこもったままギター弾き続けてきて、ある日周りがその音のヤバさに気が付いた。ってようなシナリオが目に浮かぶような。そんな音なんですね。 

私は彼の休符で迫ってくるようなギターが好きです。惜しげもなく休む。 
自分を含めギタリストというものは、ギターを手にするとどうしても音を出したくなるもので、やたらめっぽうに音を出しては悦に入る。つまり出る音がこれすなわち表現だ、などと感じがちなのですが。 
実はそうではないということを気づかせてくれるのが、Bill Frisellの音でした。 
書道で余白がとても大切なのはよく言われることだけれど、それは音楽でも同じことのようで。 
タカタカと印象的なリフを弾いては、ディレイの音ごと、パシッと切るんですね。 
決して出しゃばらず、謙虚で繊細な。 

しかもとても器用なハーモニクスの使い手。 
あの消え入るような音を際立たせるには、やっぱりちゃんと余白を作っておかないといけないんでしょう。 
キモックのハーモニクスは和音でくることが多いんだけど、この人のは単音で間をおいてくるので、効果が全然違うように感じました。 

ビートルズの曲なんかもやるんですが、決まったメロディーとかリフ以外はほとんどアドリブだったと思う。ちょっと表現しにくいんですが、若干遅い。つまり「んーもたってる?」という感じですが、帳尻がちゃんとパシっと合うんです。そういうスタイルなんでしょう。聞く側としてはまぁちょっとハラハラ。まさか酔っぱらっていたわけではあるまい。 
サンプルなんかも使ってました、Line6のあの緑のやつ。DL4。 

なにより素晴らしかったのが、Lap Steel, Pedal Steel担当のGreg Leiszとの掛け合い。 
ギタリストが二人いて同じようなギターの音質なんだけど、この二人はそんなことお構いなし。がっちがちのギターバトル。これが際立って素晴らしかった。 
マスター二人がどちらとも譲らず弾きまくるというのは、本当に気持ちよかったです。 
Greg Leizという人は本当に器用なギタリストでSteel類担当で古臭い伝統的なリフや即興だけでなく、エフェクトペダルなんかもお手のもの。 

ベッドルーム出身のBillさんもそういうの大好きそうだし。 

Napaというとワインで有名な場所。 
ほとんど罰ゲームな感じでBillさんがちょっとしたMCを入れ(非常にぎこちないジョークも;あらら…)、ワインでもってステージ上でカンパーイなんてやってました。 




本当にあっさりした1セット90分。 
カーっとくるようなエキサイトメントこそ全くない、おとなしめなショーでしたが、それはそれで心地の良い時間を過ごせました。 


余談ですが、Kimockの息子Mylesが見に来てました。セットの終わりの方で自分のギターとペンをステージ上においてました。「サインちょうだい」ってな。 
エクストリームにシャイなBillさんがはたしてKimockの息子のギターにサインをしたか、これは永遠の謎でございます。


後日談: 2013年の6月、Everyone Orchestraがペタルマに来た時、ひょんな事にマイルス君にサンラファエルまでライドして差し上げることになりまして、その時聞いてみたところ結局サインもらえたよー!!!とのことでした。 

2012年7月7日土曜日

6/25/2012 Phil Lesh @ Terrapin Crossroads






サンフランシスコ市街がゲイパレードでどんちゃん騒ぎしていた、その日、 
Phil大先生が結構毎晩のように出没しては、タダでTerrapin Crossroadsでショーをやっていて、今晩もやるらしいというウワサがデッドヘッズ友達のRobinから入ってきた。 


Terrapin Crossroadsは彼のヴェニューだし、まんざら嘘でもないだろうってわけで、半信半疑リッチモンド橋を渡って初めて行ってきましたとも、Terrapin Crossroads。 
踊るテラピンがなければ、高級な老人ホームのようなウェブサイトしか見たことなく、実は興味もほとんどなかった。 
そんなだったのですが、Phil大先生をまじかで見ることができるという事であれば、外すわけにはいかない。 

やってました、やってました。小さなステージに大のおのこが4人。PhilとJohn(Furthurのギターね)。それからPhil大先生の息子!!が二人。ギターだかマンドリンだかを弾いてDeadの曲を歌ってました。 

会場は人でいっぱい。でもじきにこんなショーはやらなくなるはず。 
タダでPhilがギグをする、ということを聞いたらこんな小さな会場は完全にパンクするでしょう。 
有り得ないほどラッキーなタイミングで、面白いショーを見させてもらったと感謝してます。 

6/12/2012 Party for the Planet with The Rock Collection @ Freight and Salvage









ベネフィットづいている最近。Freight And SalvageというBerkeleyの市民会館みたいな大きさの会場。 

今回はParty for the Planetという。Earth Island Instituteの30周年記念。名前からも簡単に想像できる通り、地球を守ろうというノンプロフィット。バークレーという場所どこ歩いていてもこういう活発なしかもラディカルな雰囲気だ。 
たまにtoo muchに感じる時もあるが、こういった場所があってもいい。 
今日も地下鉄にのってたら、どっぷり60近い太ったおっさんが、ものすごい小さい携帯を持ってごちゃごちゃ。自転車にヘルメット姿。その緑色のヘルメットには風車みたいなのがついて。真正面からみたら、ひげがピンクかった。そんなおっさんが降りていく駅がダウンタウンバークレーだ。 

どうであれ。 

面子がぐちゃぐちゃ。こういうのもおもしろい。 



ひとつ目がWhiskermanというアートロックバンド。何がやりたいかよくわからないけど、このバンドのボーカルが非常によかった。嫌に鼻についている感じでもないけど、ただこういう風にしか表現できないバンドなんだなーと思ってみてた。ちょっと力入りすぎてたと思うけど。 

二つ目のアクトがJohn Trudell。あとで触れます。 




三つ目がWill Durstという社会派のコメディーさん。政治がスポニチ三面記事みたいなノリで楽しめるってのがこの国のいいとこよね。政治なんて日本じゃどうしても振りかぶっちゃうんだけど、そんな重い感じが全然なくミリオネアからホームレスに至るまで、政治について語れるってのは、それが民衆の近くにあるという証拠で。歴史が違うと、こうも違ってくるもんで。 




四つ目がThe Rock Collectionというバンド。聞いたことのないバンドだけど、ふたを開けてみたら、なんてことない。Mark Karan(Rat Dog,) Robin Sylvester(Rat Dog,) Lebo (ALO,) Greg Anton (Zero)という、ジャムバンドの寄り合い所帯のようなもので。 
とてもタイト。やっぱり上手い人たちが集まると、出てくる音も非常に美味い。でもやっぱりJohn Trudellを聞いた時点で、このコンサートは私の中で終了してしまっていたので、Leboすごく上手くなってきてるな、くらいの印象しか残りませんでした。 


で、John Trudell。この人はReal Deal。 
凄まじかった。 



ジョントルーデルはネイティブアメリカンの活動家、詩人、ミュージシャン、映画俳優。ミュージシャンの時はJesse Ed Davisとネイティブアメリカン仲間として、一緒に演ったりしてた。それ以上に彼が有名なのは60年代後半のネイティブアメリカンによるアルカトラズ島占拠のムーブメントに大きく関わった活動家としての側面だろう。アフリカンアメリカンへの人種差別は有名な話だが、ネイティブアメリカンへの差別もひどかったようで、FBIの前で抗議行動。星条旗を焼いたら、彼の家に火がつけられ、妻子を失なった。1979年のことだ。 
それ以来活動家の側面は影をひそめ、詩人、音楽家として活動するようになった。 

話はそれるが、Dead, Kimockを聞くようになってから、自分の音楽の聴き方が変わってきた。 
「表現の速度」にこだわるようになった。 
即興のがいかにクールなものか。次から次へと押し寄せるリズムと降り注ぐ光のようなメロディーに対して、その状況状況臨機応変に、パズルのピースを一つ一つ探し当てるかの如く、音で絵を描いていく。そこには考えるヒマなどない。考えていたり練ったりしていては、ナマの音が死んでしまう。取り残されてしまっては大変なことになる。 
そこで演奏しているものに何が起こっているかというと、それは単純に反射の世界であって、ゴタクが入り込む余地などない。 
反射ほどネイキッドなものはなく、嘘がそげた正味なその人そのものが音に出てくる。 

音が一番早いのだと思っていた。次に思考が来た上で、口で言葉として伝えること、さらに書いて伝えるコミュニケーションが一番遅いが具体的な形でくる気がする。そう思っていたのが覆された夜だった。 
John Trudellは言葉でジャムっていた。 
スポークンワードなので音といえば音なのだが、言葉である以上思考プロセスがなければ支離滅裂になってしまう。 
だが彼はそのプロセスが異常なほど速い。それはKimockがソロを弾くかのようだった。しかもその言葉が恐ろしく鋭い。出まかせは誰でもできるが、音と思考と言葉が、なんのよどみもなく滝のように降り注いでくるのは、とても壮観だった。 
つまり音楽的。素晴らしいショーの後のような気持ち良さでした。