2013年11月30日土曜日

11/27/2013 New Riders of the Purple Sage @ GAMH, San Francisco, CA


サンクスギビング前日、僕は迷っていた。
火曜日に行ったRandy Craigs Trip w/ Terry HaggertyのショーでRandyに明日のMarsh Theaterのギグに行くよ、と言ったこと。
AshkenazでStu Allen & Mars Hotel。
そしてサンフランシスコではGreat AmericanでNew Riders。
どのショーにも行きたい。

そう思っていたところ、先週からギターをレッスンしているスティーブから電話がかかってきた。
「今日New Ridersのチケット一枚余ってるけど、行くか?」
「そうだな、じゃ、行くかな、New Ridersは久しぶりだし、この前のDavid Nelsonもミスしたし。」
そんなわけで話は決まり。

最前、もちろんBuddy Cageの前に陣取る。
Buddy Cage ...


ちょっと彼のホームページから抜粋:
「そう、1946年2月18日、カナダのトロントで俺は生まれた。もしあなたがアストロロジーに、こいつは毒にも得にもならないけどみんなでワイワイやるにはちょうどいいよな、そう占星術に興味があるんならわかるだろうけど、水瓶座の俺は退屈でアホなことには我慢ならないタチだよ。
1957年の夏にPort Creditでハワイアンギターのレッスンを受けはじめた。音楽の専門学校のナイスな人がいてどうやったら最悪にならないかを1から10まで教えてくれたんだ。
音楽のプロとしての人生がはじまったのは、1961年。1963年にプロになるために高校を辞めて、65年にちゃんとしたギグをもらえるようになった。それ以来うしろを振り向いたこともないし、仕事にあふれたこともない。
カナダに住みながらも、ほとんどの仕事はアメリカでだった。昔はミュージシャンがあちこち渡り歩くのは簡単だった、今のように閉じられた環境じゃなかったから。INSはすごくルースだったんだ。
だれも生計をたてるつてを盗むような奴はいなかったんだよ。組合はあったけど、TVとかラジオレコーディングをのぞいてはほとんど役に立たなかったし、地域ごとにしばりも全然なかった、悪名高いシカゴ周辺は話は別になるけど。わかるだろ?
実際のところわれわれミュージシャンは「特別な人」とされていた。どういうことでそうなっているかわかる?われわれは昔から特別に競争相手になるような相手ではないってことだよ。…」
ここからカナダから移民して云々の話になりそれ程興味深くなくなってくるので、わざわざ訳すのは辞めますが。
どーですか?
別に意識して訳したわけではございません。それにしてもこのくせ者っぷり。

今回も真ん前で見せてもらいましたが、この人だけ異様なんです。
去年のはじめの白血病治療のためか頭の毛がとても短く(それにしても生き延びてくれて本当にありがとう!!マジで)、下はユニクロでうっているようなフリース地のブカブカのパジャマみたいなもの、足下はスリッパ、ちょっとしたはおりものに、なぜかピンクかオレンジかのスカーフ。

そして、にらむにらむ。

まー、ペダルスティールという楽器の性格から、下を向いてプレイするのは当たり前なのだけれど、たまに顔を下に向けたまま目ん玉だけがぎょろっと前を向けるのは正直むちゃくちゃ怖かった。
三白眼ってやつですね。しかも虹彩がうすい色なので、余計に怖い。
バンドメンバーとのコンタクトにもこれをやるのだけど、たまに客にもやる。恐

がーっと凄まじく正確なプレーをして、曲が終わって、いくらかこの「ぎょろっ」をやって、そのうえ左手の指を下から上にベローーってなめるんだ、この人。
多分左手にもつバレットバーの滑り止めなんだろうけど、これがまた完全にホラー映画。笑 
で、また曲にもどって散々客を打ちのめすような演奏する。
客が盛り上がって「Thank you Buddy!!!!!」とか叫んだりする。
もちろんガン無視。爆

あ、首元に何か彫ってある。
なんてかいてある?

    





狂弾。こわすぎ。


あーでも、好きだなーこういう人。笑
New RidersっていかにもGrateful Deadの子分的な存在でなんか人懐っこそうなんだけど、笑えるくらい無愛想なんだよなー
Buddyだけでなく。
メンバー全員が「漢」としている。
フェミニン度、ー500%。

基本的にうたもののバンドだったんだなーという印象。
メンバー全員が歌って、コーラス付けて、その合間に DavidかBuddyがソロ付けて、7分から長くて10分くらいの曲たち。
カントリーロックというジャンルがあるけど、New Ridersのカントリーサイドは、彼らのアルバムのジャケ出てくるサボテンのように、乾いている。
北のレッドウッドの空気感よりも、南カリフォルニアの砂漠地帯か、そうでなきゃなにもない黄金の草原地帯だろうなー。
テキーラなんかがとても似合いそう。アカプルコゴールドなんてのもある。
カントリーフォーク、メキシカン。アメリカーナ。といっても、いわゆるDavid LindleyやRy Cooderなんかのようなウェストコースト系のそれとは違う。
かと言ってJorma, Hot Tunaのようなカントリーブルースとも違う。ニューライダーズはブルース色が思ったより薄い。

ルーツがつかみづらい。でも知りたい、知りたすぎる。興味津々の自分がいる。
David NelsonとNew Ridersあたりはもうちょっとちゃんと掘り下げないとダメだなー。
とても面白いし、音楽的にも豊かな部分。今後の課題。
昔のNew Ridersもいいが、今の彼らをもっと知りたい。

Dead Flowers, Louisiana Lady, I don’t know you(!!), あたりがすごく気持ちよかった。

あと個人的なメモとして。Buddyのプレイスタイル。あっちこちにフィルインを入れるんだけど、必要じゃないところはやり過ぎ?って思うくらいにパシっと切る。
「かちっかちっ」ってミュートの音をリズムに合わせてならすのはとてもいいアイデアだなーと思った。出力が大きいからね。

Mr. Kimock and Mr. Cage


2013年11月26日火曜日

11/02/2013 Sing out for SEVA/ The Blind Boys of Alabama, Dumpstaphunk, Hot Tuna @ Fillmore, San Francisco, CA



最近立て続けに別の人から別の機会に
「昔Jormaはドラッグ癖がひどくて手に負えなかったけど、よくここまで立ち直ったよな」
という話を聞いた。
Hot Tunaは今でこそ感動的なカムバックを果たしどこへ行ってもあたたかく迎え入れられるが、そこにたどり着くまでは紆余曲折があったらしい。

ロックの世界で「女」は強い。
今のJormaがあるのは誰がなんと言おうとVanessaのおかげだろう。
昔のJormaは私は知らないが、確か前の奥さんとは死別しているはずだ。
で、気の強いしっかり者のVanessaがパートナーになった。
Fur Peace Ranchを立ち上げ、子供を養子に向かえ、頻繁にツアーに出し、Jormaをいつも忙しくさせているのはVanessaだ。
Vanessaはいつ話しても強い。押しが強く、芯がある人だ。怒ると間違いなく手に負えないタイプ。
Jormaには責任を負わせ忙しくさせていないと、ダメになるということがわかっている。

ミュージシャンにはこういう妻かパートナーがいないとダメなのかもしれない。

Kimockの妻のJenもそうだ。
もともとバンドのマネージャーみたいなことを職としていた人なので、ミュージシャンとダイナミクスは頭に入っている。
一時期子育てで離れたけど、今も多分キモックのツアーは彼女が一役買っているはず。
旦那は常時ギターと戯れていたいだけで、他の「くだらんこと」には基本的に手をつけたくない。
しかも手をつけると、採算が合わない。スティーブは完全に採算度外視の人だからだ。
そこで妻が出てきて夫の道楽をビジネスにすべく働いている、という図式。
スティーブはジェンの決断にはほとんどYesmanになっているはず。
ミュージシャンシップとビジネスとは全く別口なのだ。

正直キモックさんの事でもかなり色々な醜聞を色々な口から聞いた。
大概ビジネス絡みで。
夫は飽くまでミュージシャンなので音楽さえできればいい、というのは正論過ぎるくらい正論。ただ彼らも人間で生きていかなければならない限りは、金がいる。
金勘定したくない夫は妻にそれをしてもらう、もしくは妻がその役割を買って出るわけだけど、当然二人の人間が絡んでくるわけで、話がややこしくなる。
しかもミュージシャンシップとビジネスの上に、ファミリーとしてのダイナミクスも関わってくるので、またここでひとつツイストが加わる。

あるミュージシャンは今言ったように妻がファイナンスを一手に引き受ける形をとる。零細企業を完全に家族経営している形。
あるミュージシャンは妻がいい仕事に就いていて自分より稼ぎ手だったり、大金持ちの子息だったりして、全く金に頓着する必要がないケースもある。
あるミュージシャンは独身を貫いて、全部を自分が仕切っている。
それが三つ四つ集まってバンドになる。で、お互い思惑を抱えて、ツアーをする事になる。
お互い家族単位でコトが運ぶとなると、一旦こけると、もう修復不可能になったりする。
いわくPhil Lesh familyとKimock family。 KimockとVegaもそうだった。
これはもちろんファンも巻き込んでしまうわけで、評判命のこの業界ではビジネス以上に痛手を受ける事になる。

でもここで言いたいのは「女」のパワーの強さ。
ファミリーアフェアーでもつ女性の影響力たるもの、凄まじい。
例えば、フィルとキモックの場合、最初はキモックも怒っていたけど今は自分のファミリーを愛するがゆえ、彼はPhilとはプレーしないことを選ぶ。
妻の手前できない。端から見てると単なる意地の張り合いで、ばからしいっちゃばからしいけど。
でもJenのおかげで、Kimockは車生活を脱却、一軒家を構えスタジオまで持つまでになった。子供もいて、奇妙なバランスを保っている。
Jormaはギターワークショップを持ち、ツアーに忙しく、「今までになかったくらい健康そう」(Terry Haggerty談)だ。
Philの活躍は言うまでもない。
ファミリーパワー恐るべし。
音楽が核となっているのは変わりがないが、家族が絡むとより色々な事がシビアになる。敵を作ってもいとわないという状況も生まれてくる。
こういう風にちゃんと家を持って、お金も回っているミュージシャンはごくごく稀だ。
超ラッキーな人たちだと思う。


で、話がそれにそれましたが、今回のSEVA。フィルモア。
ジャパンタウンが近い。ショーの前におにぎり2個、コリアン焼き肉をたらふく食った。
腹一杯で実のところ帰ってひと寝入りしたいくらいだったが、ここは我慢してフィルモアへ。
最前に陣取ったスティーブと合流。
もちろん目当てはAcoustic Hot Tuna。
VIPチケットでサイン入りポスター+ショーの後にバンドと会えるという特典付き。



setlistはJormaのブログから。
1. True Religion
2. Children of Zion
3. Second Chances
4. Come Back Baby
5. Hesitation Blues with David LaFlamme
6. Good Shepherd with David LaFlamme
7. Barbeque King with David LaFlamme
8. That’ll Never Happen No More with David LaFlamme
9. I Am The Light Of This World with David LaFlamme
10. San Francisco Bay Blues with David LaFlamme

おいしいところを押さえたショーットセット。
最近、最新作からのSecond Chanceという曲が大好きになった。
いっつもどのショーでもやるから、耳になじんできたようだ。
最初はなんかくっさーとおもっていただけだったが、どういうわけか最近ハートにしみてくるようになった。

バスで帰らなければならなかった為、Dumpstaphunkの途中で退散して、バンド達と会う事ができなかったが、後から聞いたらHot Tunaは現れなかったようなので、全くオッケー 笑


The Blind Boys of Alabama 目の前に来てビビった。


Dumpstaphunk。ゴリ押しファンクはいくらなんでも2つバンド見た後には辛かった。

2013年11月16日土曜日

-Steve Kimockを色々な側面から- Highway 81 Revisited


新しいブログ祝いでもないですが、久々のインタビュー。
ちょっと古いインタビューをようやく訳しました。夏前のものです。
あまり正確ではない部分もあります、何言っているかわからない部分もあったので。苦笑
しかも英語苦手なので。
かるーく読み流してください。

ではどうぞ。



-Steve Kimockを色々な側面から-

by Michael Lillo


Steve Kimockは多種多様なバンド編成で演奏できるミュージシャンなので、彼に夏の予定がどんな感じか聞いたところ、当然彼は言葉に詰まった。

「答えられるかわからないなー。」キモックは笑いながら答えた。「こりゃとんでもなくいい質問だな、まずもうちょっと早く朝起きるようにしなきゃ。んーオッケー。まず僕のバンドがあって、いくらか違ったメンバーが含まれていることもあるけど。時にはバンドにシンガーがいたりもするし、そうなるとバンドは70年代のファンクやR&Bよりな感じになる。またある時はドラマーが二人になったりすると、色々なインプロヴィゼーションがでてきたりするよね。これはぼくにとっちゃ普通なこと。ここんところHot Tunaのショーをいくらかアコースティックでやってるんだけど、それは素晴らしいし大いに満足のいくものだよ。Jorma, Jack, Barryと座ってアコースティックギターでさ、それはかなりスタンダードなロックバンドとはかなり違う感じのものだよ。あと、Everyone Orchestraのギグもやるよ、指揮者付きのインプロヴィゼーションギグ。」

それと彼は言わなかったが、単発でBob WeirのRat Dogにも参加する。これはインタビューが行われた朝にアナウンスされた。ペンシルヴァニア州はベツレヘム出身が来週 Scrantonで行われるPeach Music Festivalで、ボブウィアーのチームのリードギター役をつとめる。それはキモックの長きにわたるGrateful Deadメンバーとのつながりで、幸せな再会だ。

8月8日木曜日デラウェア州はWilmington、World Cafe LiveでBernie Worrell, John Kimock, Andy Hessと一緒にショーをやるSteveに、ウィアーのバンドでプレーすること、次のソロアルバム、ドラマーの息子と一緒に演奏することについて話を聞いた。


H81R: Peach FestivalでBob Weir and Ratdogのセットに参加するんだよね。どうしてそんな事になったの?

SK:  僕は80年代前半からBobbyと演奏してるよ。何年からか、正確には覚えてないけど。彼とギグをいくつかやったんだ、その時の彼のバンド、何だったっけ、あ、Kingfish。そう、あの時何本かギグをKingfishで演って、それから何か色々なのを彼やGrateful Deadの面々と演ったよ、Marin Countyに住んでたからね。僕はいつでも呼べばすぐに応じられるような状況だったんだよ。まぁ、それ以来今にいたってもずっとそんな感じ。ボブと僕とは家族ぐるみの付き合いでさ、この話が来たときもベンチ待ちみたいな状況だったんだよ。だからラットドッグの為にベンチ入りしてたわけ。で、彼らが「ちょっと人が必要なんだけど、来てくれるか」ときたから、「いいよ、ずっと待ってたんだぜ」って。

全部の事がうまくいって参加できる事になって嬉しいよ、だって俺はボブの大ファンだからね。彼のギターの演奏法とか音楽に対するアプローチ、そういったレベルでボブウィアのファンなんだ。いつも彼の作品には楽しませてもらっているし、ボブと僕の間にはかなり長い間の練習から生まれたケミストリーや親密さがあるし、おたがい押し合いへし合いしてきたからね、すごく楽しいよ。

H81R: ウィアは確かに普通のリズムギタリストではないよね。何がユニークなの?

SK:彼の演奏スタイルで何がユニークかって、彼自身がユニークなんだよ。彼のルーツにあるもの、それに彼がやってきたこと、色々なコンセプトとそれを長年にわたってGrateful Deadに寄与してきたこと。全ての要素の間に立ってそれをつなぎ合わせるという彼の役割は、すごくスペシャルなものだと思う。彼はいくらかのとてもユニークなヴォイシングとリズムのファンクションを作り上げてきた。彼のようなギターを弾く人間はいなかったという、それだけの事だと思う。ただただ彼のギターが好きなんだ。僕も大好きな田舎のブルースやゴスペルのような音楽ルーツから得たボキャブラリーを、彼はいっぱい持っているんだ。彼はodd-timeなリズムの取り方、オポジットポラリティ、エレベイテッドハーモニーといったことの大ファンなんだよ。

H81R: いつ頃から息子さんと演奏してるの?いつ頃から彼がプロとしてやっていけるって気がついた?

SK: あぁ、これまたいい質問だね。僕らはかなり即座に一緒にプレイしはじめたよ。2歳の時に彼ははじめてドラムセットを手に入れたんだ。彼はただ何かを叩きたかったんだ。思うに野球のバットは大きすぎた、だから結局ドラムスティックになった。ギグに行きはじめて、僕と一緒にあっちこっち行き始めたのは3歳か4歳くらいの時で、だから色々なことが起こっているのを全部見てきたんだよ。サウンドチェックの間ドラムの後ろに座ってさ。多分インターネット上に彼が5歳くらいの時のヴィデオがあるんじゃないか、Studio Eでグレッグアントンのドラムキットをポカポカやりながら、バンドを導いているんだ、5歳の時だよ。だから、僕にはクリアーなアイデアがあったんだ、彼にはこれをかなり高いレベルにまでもっていく事ができるとね。で、今24歳になって、僕の尻をぶっ飛ばし続けてるんだよ。

H81R: こんな体験をジョンと一緒に続けることができるってのはどんな感じなの。

SK: 初めての子供がこんなに音楽的で、しかも自分のやっている事が好きで、父親の僕がやっている事も好きで、お互い信頼しきっているなんて、僕の人生においてこれほどまでに満足できることは他には一切ないよ。全くこんなこと予期していなかったし。僕らはいつもマジでコネクトし合っていたし、それ自体が喜びというか、本当に誇りに思うよ。どうだろうな、多分エモーショナルな部分で僕が得たものをのぞけば、彼と一緒に演奏する事から得たものと言えば、同じ血をひいてるということとか音楽的な家系であることに対するありがたみってのがあるんじゃないかな。ジョンは十分早くからドラムをはじめたけど大人になるまで、かなり素晴らしい音楽を聴いてきたとは思うけど、16くらいになるまではそれがよくわかってなかったと思うんだ、僕もそうだったけど。16になって、彼は曲を書きはじめて、ギグをやって働いて、で彼の演奏やコンセプトはとても美しく進歩したんだ。そうなると同じ屋根のもとで暮らしてきたということが強みになってくる。

H81R: 今は何に取り組んでるの?レコーディングなんかやってる?

SK: うん。今は今年春からJoe Blaneyとはじめた録音のオーバーダブをしているところ。彼はクラッシュなんかをプロデュースしてきたんだ。彼は本当に一緒に働く上でインスピレーションだよ。明日彼とぼくのスタジオ/小屋で一緒にオーバーダブするんだ。エキサイティングだよ。これを終わらせて、このロックなレコードを出したいと思ってる、秋ぐちあたりにね。で、その後すぐ家で別のレコーディングをやるんだ。ジョンと僕だけではじめる。彼は曲を書き続けていて、僕もそれを先に進めたいんだ。僕自身はといえば、家でよりアコースティックな感じなのに取り組んでるよ、スライドよりでね、ほとんどインプロヴィゼーショナルなやつさ。

H81R: もうちょっとJoe Blaneyとのレコードについて教えてよ。よりロック的なやつって言ってたけど。

SK: 僕にとってはね、フォーマットとしてだよ。僕、バーニーウォレル、ジョニーがドラムでアンディーヘスがベースで、あとあちこちから色々な人。ちょっとした、いいレコードになるだろうね、ボーカルが入って、曲もちゃんとあって、みたいな。つまりプロダクションに関して言えば、その半分はでかいうるさい空間で騒々しく酔っぱらった感じのライブショーのヴァイブとは全く反対な感じになるだろうってこと。

H81R: 誰がうたってるの?

SK: 何人かのシンガー達が歌う事になると思う。

H81R: あなたはこれまでも、そしてこれからもギターの探求者でいるつもり?いつもギターを手に取って演奏してる?それとも喜んでギターを弾かないときがあったりする?

SK: 僕は今まで自分から進んでギターから手を離せたことはないよ、ただそういう人がいるってのは理解できるけどね。僕にはどれほど彼らがラッキーな人かはわからないけど、時々そう思うときはあるけど、僕には無理なだけ。いつも新しいサウンドを探しているんだ、それはつまりいつもはじめからやり直しているような、そんな感じになるけど。習得するプロセスに力を注いでるんだ、それにはいつも感情が高まる思いさ。枝が急速に伸びていく過程とか、物事を習得して吸収していく過程にあるなんて言うと、晩年的な響きがあるけど。僕は普通のフレットのあるエレクトリックギターを普通のチューニングで弾いてるけど、それを18の時から弾いてるんだよ。それをいまだに手にして「あ、これはなにか新しいことだ」なんて言って気持ちが高ぶるなんてことは、案外なかなかないことなんだ。基本的には自分で作った自分の限界に逆らうような形になるんだ、だから、枝を外へ向かって伸ばして、なにか他の音楽を見つけられるか試してみる。指を早く動かしたりすることなんかとなんらつながりがないものが落ちていないかなーなんてね。で、見つかるだろ。それを学び続けるわけ、別の楽器を手にして腰を下ろして、それはピアノだったり、ベースだったり、ハワイアンギターだったり、フレットレスギターだったり、ただ何かを学び続けようとするんだ。それは必ずしも僕が本当に興味があるものを直接突き動かすまではいかないかもしれないけどね、それでも新発見とか学ぶ楽しみなんかはモーチベーションにつながるよね。


P.S.
ちなみにこれがインタビューでキモック師匠がいってたヴィデオです。