飼い猫の2匹が夜中じゅうベッドの上で騒ぎ通しだったからだ。疲れた脳みそを頭の上に乗っけての通勤。ミッションにあるオフィスに着く。まるであの日は先に進みたがらないチワワかなんかを無理やりリーシュにつなげて引きずり引きずり、ようやく到着といった感じだった。
とにかく疲れている中、遠くから聞こえてきたのが日本で起こった地震の情報だった。
どうやら大変な被害が出ているということ。
職場の仲間たちも顔を見合わせれば「TV見た?!」ばかりだった。
Kimockコンサートでいつも顔を合わすSimonがFacebookにアップしたyoutube動画を見て唖然として言葉を失った。
3G映画の中にいるかのような、あまりに現実離れしすぎたあのフテージたち。
道の先に見えていた水が10秒もしないうちに家や商店やらを根こそぎにし、家がぐちゃっとなる度にあちこちで土埃がたっている、水ばかりなのに煙たそうだった。車はおもちゃのようにぷかぷか水の上に浮き、一生に一度ぐらいしか出さないんじゃないかのような人の悲鳴、「早く走れ」の怒鳴り声。
TVに見えるものは海から流れ込んだ水とどこから来たのかわからない瓦礫。その中には、小さすぎるのか不思議と人は見えない。水と瓦礫だけだった。
とんでもない情報量にやられた。
そう、あれは金曜日だった。KimockのコンサートがSFからゴールデンゲートブリッジを渡って北、Sebastopolである日だった。
地震と津波のあとは、相当楽しみにしていたこのコンサートもかなり色褪せ、頭はニュートラルギアでフルに空回っているような状況だった。
しかし少なくともボーっとしているより何かをしている方が、と思って100%以上の疲労をまた引きずり引きずりして車で一時間。会場に着いたら、もうコンサートは始まっていて、Kimock Headの友達、マイキーが親切にも「地震のこと聞いたよ。お気の毒だったな」とハグをくれた。
着いてすぐ、あのKimock.comにもアップされているLove for Japan jamが始まった。ベースの人が日本人はいる?というので、手を挙げた覚えがある。
楽しむには程遠いショーだった、とんでもないニュースに疲労が重なっていれば仕方がない。
時が経つごとにとんでもない情報がこちらにも続々届いてきて、どんどん被害の重みが増していった。原発のニュースがきた時は、「SFには今日何時から何時までは放射能が海を渡ってくるらしい」という予報まで出ていた。
仕事もあるしこっちも生活がかかっているので、日本に今帰るわけにはいかない、何かできることはないか、と思っていた。次の日のショーに機会があればキモックと話をしてみたい。もしかしたら日本のキモックファンたちデッドヘッズファンたち、さらには音楽好きの人たちを励ましてくれるかもしれない。メッセージでも音楽でも何でもいいから発信してはくれないかと。
しかし次の日、彼と話すチャンスは残念ながらおとずれなかった。コンサートってのは、見る側も演奏する側も、とにかくバタバタしているものだ。
次の週、んじゃ直訴メールはどうかと思った。パーソナルメアドはFur Peace Ranchの時にもらっていた。で、モノは試しとお願いしてみて、たしか1週間か2週間待っただろう頃、Relixマガジンのブログにコレがアップされた。
早速お礼のメールを出したところ、このNYでの取材の日があまりに急で、朝早く一杯のコーヒーも飲めずに仕事しなければならなかったことに続いて、
It seemed like a good opportunity to express my gratitude, concern and compassion to the Japanese fans.
Better with music than words.
「言葉よりも音楽の方がいいでしょ。」
あ、ちなみにスティーブがこのビデオの冒頭で言っていることはこんなことです。
「…さて次。タイトルがなくて悪いんだけど、何を演奏しようか考えてて。最近僕の感情にうったえかけるもの、それは何かっていうと日本で起きたこと。ただただ信じられないくらいに悲惨な自然災害。僕自身何回か日本に行ったことがあるよ。で、ものすごく感心したんだ、ぶっ飛んだね、日本という国に、文化に。それはとてもタイトにまとまっているんだ。
アメリカのメディアは好きなようにこの災害をとらえて報道してるけど、もしあんたが日本に行ったことがあるんだったら解るよね、全然公平に報道されていないんだ。そこには驚く程強くて、知性があってすごく進んでいる人たちがいるんだよ。そこで立ち向かっているんだよ。驚く程大きい、文字通り地球がひっくり返る程の災害に勇敢にもね。僕は確信しているんだ、彼らがこの災害を克服することを。
だから僕はそのことを思って、ちょっとした僕の感情の流れを演ろうと思う。それが何であれ…美しく立ち直ることのできる日本の人たちへ…」
おわりに:
バタバタとしているうちに1年がたって、自分の中で地震と津波の記憶が色褪せてしまったかというとそうではなく、時間がたつごとに被害の大きさがクリアになって、今後の事なんかも考える余裕が出てきて、きわめて間接的にではあるけれども色濃く自分に影響を落としてきているような気がする。
いつ終わりが来るかもしれないということが色々な行動を起こす際に前提としてあって、そのうえで、じゃあできるうちに縁あって出会った人達に親切にしようとか、なるべく今を楽しく過ごそうとか、今集中して正しい判断をしようとか、時間の定規が「今」にぐっと近づいてきた。「10年後こうあるためにこういうプランを」から「今こうしておくことがいいのだ。今が将来になっていくのだから」という方向に変わった。
結構自信を持ってこれはいい変化だと思っているのだけど。そーんなことは実際はわからないやね。
こんなとこまで読んでくださった方、ありがとうございました。
実際に災害に遭われた方々へ謹んでお見舞い申し上げるとともに、残念にも命を落とされた方々へは心よりお悔み申し上げます。
今日一日、去年のこの日の事を想って祈ろうと思います。
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