待ちに待ったDavid Lindley。Wintersという内陸の街。以前住んでいたDavisから近い所で。ベイエリアよりかなり暑い。多分10℃くらい暑い。
8時くらいについたんだけど、あの暑さが耐え難いってのもDavisを出た一つの理由で。
Palms Playhouseステージに向かって右側の2列目。
ちょっとした紹介があって、かなりハデーな上下、面白い靴を履いたDavidが出てきた。開口一番「Here I am. I’m still alive.」とおどけた調子。これだけでオーディエンスは笑い、味方につけちゃう。
5~6本の弦楽器が脇にある。
ショーの進行はというと、曲と曲の間にちょこちょこと話。次やる曲についてだったり、単なる近況だったり、楽器の由来や説明。とにかく面白く話を仕立てて、楽器を弾きはじめる。つまりウォーミングアップ。本題の曲に入る前に必ず手慣らしをするんだけど、私は曲本題よりも、むしろその手慣らしの大ファン。この手慣らしがとにかく美しい。
とくに今回はOudという楽器のウォーミングアップに持ってかれました。
ソロのショーが好きです。
バンドと違ってソロになると時間、空間を埋める音の彩がぐっと少なくなる。多人数のバンドであればさまざまな音色で十分にそれらを埋めていくことができものだが、1人となると同時にやれる事も限られてくる。
Garrinのようにループでもって音を無理やり増やすこともできるが、上手であればよいとはいえ、Garrinには内緒だが、私はあれは反則だと思っている。
Jorma程のマスターになるとギター1本、それと残響音、自分の声だけで、いろいろな画が見えてくる。
David Lindleyの場合は耳を疑ってしまうほど正確なピッチ。正確なピッチといっても絶対音階の中でではなく、曲の中でのコンテクストしてだ。
まず一人で演るわけだから、チューナーからみて正確なピッチは要らない。次に曲をいざ演奏し始めると、曲と楽器に合ったピッチというのがある。頼りになるのはチューナーではなく耳だ。聞いて「気持ちいい」とか「この曲ではこの雰囲気」というポイントが「正確なピッチ」ということになる。そのポイントは必ずしもチューナー的に見て正確である必要はなく、むしろ大体の場合がチューナーのピッチとは、ずれている。それにどれほど敏感になれるかということだ。
ただフレット上に指を置いただけでは、そのポイントにたどり着くことができないので、必然的に弦をネック側に引いたり、ヘッド側に押したりして調節する。Kimockはそれをmicro pitchingと呼んだ。
話がそれたが、David LindelyはLap Steel, それからどこの国から来た楽器だか知らないが、弦楽器たち。それらすべてにおいてマイクロピッチ済みの音が出ている。
それが凄い。
それぞれの曲がどんな世界に描かれるべきか、それをよく知った上、意図して音を出している。一聴しただけでは偶然のように聞こえるあの音もこの音も、実は意図的に作られている、ということをKimockも言っていた。
Lindley のショーは録音もカメラでの撮影、録画も許されていない。余計なことをせず「音を聞いてほしい」というメッセージがここにもみられる。
色々とコミカルな側面の影に、音楽への強いこだわりが見て取れる。改めて彼のショーを見ることができて光栄に思った。
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