2008年3月19日水曜日

Martin Fierro 追悼


さようならマーティン・フィエロ 。 

私からも何かしたくて、彼の(http://www.martinfierromusic.com)のページから、バイオグラフィーを翻訳。急いで訳したんで、ちょっと荒いです。もし間違いあれば教えていただけると助かります。 


マーティン・フィエロ バイオグラフィー (1942年1月18日~2008年3月13日) 

Martin Fierroはアメリカンロック史において、最も多くの面で才能を持つ、また尊敬されているマスターサックスプレイヤーの1人である。 彼の演奏する音の一音一音からは、音楽に献身的な姿勢、運命、あふれんばかりの才能を聞くことができる。オーディエンスはもちろん、共演メンバーも彼の演奏にはいつもぶっ飛ばされる事にな1る。 

人は彼のことをThe Meester(師匠、先生)と呼ぶ。 

ネイティブアメリカン、アパッチ族 タラフマラ族の血をひき、メキシコに生まれる。The Meesterはいつも、彼のユニークな才能を聴衆にもたらすように、偉大なSpiritに導かれていた。 

1942年1月18日にメキシコに生まれる。10歳の時にテキサス州エルパソに移住。 
スクールバンドに入るため、独学でサックスを習得。しかしスクールバンドに入ってフットボールの会場を行進するのは偉大なSpiritの志すところではなかった。「星条旗よ永遠なれ」を演奏することはなく、Rock and rollバンドに引き込まれ、地元のパブで週6日プレイするような青春時代をおくる。 
15歳のMartin少年は、Chuck Berryのようなミュージシャンのバックアップをすることで彼独自のサックスのトーンを習得していった。 

1964年MartinはJazzをマスター。The Maxnava Jazz Fourとメキシコシティで演奏した。その観客の中にMiles Davis, Dizzy Gillespie, Thelonius Monkがいた。彼らの誘いもあってジャズ修行にニューヨークにいく計画を立てる。 
しかし1968年、運命は彼をサンフランシスコ、ベイエリアにつれて行く。そこでの彼のロック、ジャズのプレイは、オーディエンスたちを気持ちのよい催眠術にかけ、彼をよりプロフェッショナルなキャリアに導いた。 

FierroはMother Earthに加入しMichael Bloomfield, Mark Naftalin 、Tracy Nelsonらとレコーディングした。Jerry Garciaとも生涯友達でGrateful DeadのアルバムWake of the Floodにも参加、GarciaのバンドThe Legion of Maryのメンバーでもあった。 
そのほかにもThe Meesterは、James Cotton, The Quicksilver Messenger Service, The Shades of Joy and Merle Saunders等とレコーディングし、 Steve Miller, Boz Scaggs, Queen Idaとライブで共演した。 
1970年 Fierroは古典ミュージカル「El Topo」の作曲を担当した。 

Martin Fierroは最近ではジャムバンドZeroのメンバーであり、彼はThe String Cheese Incident, Yonder Mountain String Band, Dark Star Orchestra, New Monsoonとも共演している。 

Martin Fierroはロックの歴史においても、果てのない表現者としても伝説的人物である。 

-Miriam Hospodar 


写真は2007年2月3日フィルモアのZero公演から。 

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